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sleeper send

5.07.2011

こども心

こどもの日に「いいとも」を見てたら、芦田愛菜って女の子が出てた。

6歳児とは思えん程の言葉使いと対応力にタモリもあっけ、と言った感じ。
話が進む中で「オレは小学3年生くらいまで意識は無かったよ」とタモリが言ったけど、だよねと思い笑ってやった。

GWに僕はこどものようにあそんだ。
間違いなく、芦田愛菜ちゃんより遊んだに違いない。
そこで少し思ったことを書いてみる。




よけいなことは一切考えずに、思った通り動けるこども心こそ「意識が無い」時のこと。
その次期の、あそぶ、つくる、こわすって言うシンプルな行動に伴う意識こそが、デザインやアート、D.I.Yに重心をおく人間には大事だと言う話。


大人になって普段、世の中のルールやしがらみを意識してそれらしく色んな事を考えて行動すれば、息苦しくもなるし不自由を感じる事も増える。 

それは、お金を儲けて好きな事をしたり飯を食う為に必要な代償ではあるけど、もっとシンプルに生きたい人がその代償を払う事をさける理由は、面倒や嫌味から逃れたいってのも有るだろうが、実は、大切な人間の営みの本質がわからなくなるからだと感じる。

なぜならその営みこそが、あそぶ、つくる、こわすに准じた動作で、必要な時に必要な分だけ食べる、有る物を有効に使う、無い物はつくる、道具や物資を譲り合い分け合う、無駄にゴミを出さない、笑い楽しむ方法を自ら考え、大地や自然を感じ利用するってこと。

そう、今こそよく唱われているような現代人に訴えるべき大事な内容。

もちろんそんな原始人みたいな生活は無理だろうし、年中裸足で歩き回るようなルンペンさんになるつもりは無いでしょう。
自分こそ毎日PCを使い、紙や布、ガスや電気をもとに、モノをつくり、廃棄を出し、代償も払う、こういったご託も並べる。
意識を無くしてやっては行けない。

では、意識が無いを意識するって意味わかんないよね。

つまり、誰が決めたか知らない常識とはびこる風刺を意識して、右に倣って生きる人生より、こどものように無邪気に、目で見て触って選ぶ人生が楽しい。
今の自分が持てるだけの探究心を活かし、たどり着いた今日のタイミングを有効に使う、無駄な意識に翻弄されない自由な生き様になれると信じて、無意識にサラリーマンをやめて、儲かりもせん自営業を続ける。

苦笑するしか無いが、それこそが今の、こども心。

置き換えればこの意識こそが、意識の無いこどものような状態で、歳をとって得たモラルだけトッピングして、有るべき姿に有る状態。

結局、こうして生きることで、こども心は十分養われているのかもしれない。


うーん、しかしこの書き込み自体、実はもっとも自由で忙しい自分の人生に、無くてもよい意識なのかもしれんよね。

何が正しいかは知らんが、これは自分がサラリーマンではなく、フリーターでもない生活を続ける中で気がついた事で、先人達からは言葉では無く、体現する姿から得たもっとも基本的な事。

もちろん倣ってはいない、盗んではいるけど。

「常に意識が違うところにあるぞあいつは、うわのそらだ」って言われるくらいでもちょうどいいかな。
ヤバい人みたいだけど、わかってやってりゃ世話は無いでしょうから。


はたしてデザインやイラストを描く時、無意識より必要なのはモチベーションか、イミテーションか?
無邪気に打ち込めないだろうかとホント思う。