そこんところに何年か前からはまっているが、考えてもわからないから、興味に身体を預けるようにしている。
ふと気づけばそれがやっぱり音を創造することへの憧れだったりするのだけど、こと何かを創造するって部分に対するシンパシーか、精神的バックグラウンドのBGMとしてのマッチングか。
この場合憧れの理由が見た目の部分じゃ無いのはわかりきったことで、本能的な部分とか、文化的で宗教的なところだったり、はたまた機械的で未知な感性を刺激する部分だったりと、多角的で予測不能なアプローチにどっぷりにやられることを望んでいる。
それがどんな影響を自分に与えてくれるか、次の日には感じることができるが、結局のところそれが究極の“無”だったりするからおもしろい。
否、やっぱりわかってないのかも。