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sleeper send

3.27.2013

Declare Independence

先日のビョークのPV「Declare Independence」ディクレア・インデペンデンス、意味は “独立を宣言しろ” ってことになる。これにはチベット問題における中国からのチベットの独立を促すべく、ビョークが中国で歌って中国がブチ切れたって逸話がある。

これに対してビョークの反応を簡単に言うと、“独立を宣言しろ”  って言葉は、人間の人生において一瞬でもあるであろう自由や沽券に関わる侵害に対する抵抗を表現する意味で、そういったニュアンスのもと叫んでいるだけだとしている。

全く持ってその通りで、これは反骨精神やカウンターカルチャーなどの新しい文化や歴史を創ってきたパワーのそれだ。

つまり、人は日常において何かの体制または観念によって自由や能力を押さえられていて、そんな見えない何かに立ち向かって生きているってこと。
そんな瞬間を感じたことは無いだろうか?

奇しくも、ミュージシャンの歌や叫びに動かされ、影響を受けることは学校教育よりも重要だったりする。
確かに歌には強い説得力とバイブスが含まれていて、自然と体が動かされるようなリズムで、なにか本気で感じるものがあったのかもしれない。


だが不思議なことに、このPVのビジュアルは「独立」がもたらす自由や感動を表現するモノではなく、洗脳・支配を表現する絵で “支配からの独立”  には見えない。
頭に直接「独立」を吹き込まれているようだが、こうなるとそれが良い事なのか一見にわからない。

日本に傾倒したビョークは、曲やPVにも日本の様式をとり入れた感じがある。このPV中の国章も日の丸を思わせるものだけど、赤と白の分け方が違っている。
もしかするとあれは物事の二面性を表しているのではないかと勝手に推測する。
だとすると、このPVは  “支配からの独立”  の裏に  “独立による支配”  をも見るようになり、見る角度が違ってくる。


倣い従うことが全ての道を創るとは限らない。
支配する者、それはかつて何かを先導した革命家だったかもしれないし、今は指示を受けているあのリーダーかもしれないし、先生かもしれない。

重要なのは自分自身の力、それを養うことと先見の目を開くってことになる。